こんにちは。
ヨーロッパに行って来ました。実に10年ぶりのヨーロッパだったので少しドキドキしていましたが、想像以上にいい旅が出来たので、大体どんなものだったのかを振り返って見たいと思います。
7月29日
シアトルを出発、デルタ航空でアムステルダムのスキポール空港空港へ。
8月5日
アムステルダムでの業務を終了し、アムステルダムを半日観光。アンネ・フランクの家(2回め)ヴァンゴッホ美術館(2回め)ライクスミュージアムを軽く見る。特にライクスミュージアムは素晴らしかった。スキポール空港のそばのホテルに泊まる。
8月6日
空港に荷物を預け、レンタカーを借りる。プジョーの208、マニュアル、4ドア。目もくれず一気に爆走し、ドイツ、オーストリアを抜け夜の12時頃にベローナに到着。ホリデーインに泊まる。ネットはクソだったがそれ以外はまあまあ。
8月7日
午前にベローナ市街を観光し、歩きまわる。その後ベネチアへ向かい、スーパー横入りで駐車場へ駐車。水上バスに乗りサンマルコ広場でサンマルコ大聖堂を見てマルコの墓を見る。その後ゴンドラに乗り30分ほど休憩する。降りた後はすぐさま車でピサに向かい、何とか11時頃にピサに到着する。夜のピサの斜塔と大聖堂を見て飯(ボンゴレ)を食べて謎の民宿「クリボー」に泊まる。夜の1時ころ。
8月8日
クリボーで家庭料理を食べたあとピサをもう一回観光、すぐさま移動しフィレンツェに到着する。フィレンツェをグルグル歩きまわり美術館のチケットを入手して直ぐローマに移動。いきなりサン・ピエトロ大聖堂脇のパーキングに横付けし、閉園ギリギリに滑りこむ。その後コロッセオ、トレビの泉等を観光しホテル探しでグルグルしながらもまたホリデーインに泊まる。此処はマジで糞だった。夕飯にマックを食べるもミスオーダーでマジで日本に帰りたくなる。
8月9日
朝飯を食べてローマ出発。バチカン郵便局で手紙を出す。フィレンツェにすぐさま向かい美術館を観賞。その後ベスパをレンタルできるんじゃねーか、という一抹の希望を抱きながら歩きまくるがそんな店は存在せず消耗しまくって車出発。ミラノの脇を通り、スイスへ検問なしで突入。サービスエリアでスイス土産をなんとか入手。その後も飛ばしまくる。そして日付は代わる。
8月10日
フランスの高速を飛ばしまくり、そのうちベルギー突入。しかし目もくれず一気にスキポール空港へ。なんとか時間通りに車を返却し、土産物を買いまくる。そして予定通りデルタ航空でシアトルへ。帰りの飛行機内では疲れまくっているにも関わらず調子に乗ってハイネケンを飲んだがために驚異的な頭痛に悩まされる。SHAREのケースを紛失する。
K.T.B.B
beyond the bound
2013年8月13日火曜日
2013年1月4日金曜日
防衛省大学生等サマーツアー2011
この一連の出来事はもしかしたら僕の完全な妄想だったかも知れないですが、そろそろいいかなと思い、写真をポチポチと選び出してみました。あとサイズはgoogleの共用スペースが減ってるから小さいのであって、何かを恐れているわけではありません(震え声)
2011年8月某日、我々は北の地に向かっていました。もちろん私は西武線ヘビーユーザーとして定期券を使用、いつもの通学のように小手指を通過しました。かなり早くに出たのですが、外は雨模様で嫌な感じの日本の空でした。
そしてあの祭でお馴染みのあのコンビニに立ち寄り、食料や水を調達。しばらくするとS氏がやって来ました。(このへん曖昧)我々はおもむろにゲートへ向かい、歩哨の方と2,3言交わし「内側」に止まっていた新型の大型バスに乗り込みました。中には黒いTシャツを来た若い男が2人。何事もなかったかのように待っていると人がちらほら入ってきます。そしてそのままバスは動き出し、いつものI氏が気付いたら近くにいました(という気がする)。市役所というよりも区役所といったしなびたクリーム色の建物の中に入り、わりかし小奇麗であるが小さい待合室のような所で待たされます。前の方にある小さな(と言っても50インチクラス)のモニターには発着の便名や時間が日本語で表記されていた気がします。そこにもとからいた人たちは皆スーツケースを持って新聞などを読んでいたような気がします。どんな格好をしていたかは記憶にありません。窓の外からは時折物凄い轟音が轟いていました。しかし中で待っていた人たちから放たれる異様な雰囲気に圧倒されてしまったので特に記憶に残っておりません。
しばらくすると人が集まりきったのか、「それらしい」人が前に出てきて色々な説明を開始しました。この際前に出てきた男女2名は期間の際にも見かけたような気がします。物凄く昭和な感じがしました。彼らは我々を写真付きのID表のようなもので確認していきます。何人かは遅れいている様で、予定の時間より遅くに各種説明が終わったような記憶があります。そしておもむろに大きなケースからドッグタグを取り出し、我々に配布し始めました。そして認識票の説明を受けます。なぜその認識票のケースが非常に厳重なものであったのかは最後まで不明でした。
そしてついに外に出るように指示されます。 小雨はまだ降っていてアスファルトが濡れていて歩きづらいです。ちなみに流石に夏なので寒くは無かったと記憶しております。鈍色の空と濡れたドドメ色のアスファルトの間に、大きなドッとしたモノがいました。こいつです。
C-1。もはや迷彩すらよく分からないような最悪の天候である。
乗ります
天井高い
飛びます
エンジンが見えます
おもむろに認識票を取り出してみる。
非常に丁寧に説明して頂きました。
ガタッ
着きました
テンション上がりすぎてすっぽりハマってるI氏
「第5航空団からきたからお前はGOKUUだ!」っていうあの映画を思い出しました。
2011年8月某日、我々は北の地に向かっていました。もちろん私は西武線ヘビーユーザーとして定期券を使用、いつもの通学のように小手指を通過しました。かなり早くに出たのですが、外は雨模様で嫌な感じの日本の空でした。
そしてあの祭でお馴染みのあのコンビニに立ち寄り、食料や水を調達。しばらくするとS氏がやって来ました。(このへん曖昧)我々はおもむろにゲートへ向かい、歩哨の方と2,3言交わし「内側」に止まっていた新型の大型バスに乗り込みました。中には黒いTシャツを来た若い男が2人。何事もなかったかのように待っていると人がちらほら入ってきます。そしてそのままバスは動き出し、いつものI氏が気付いたら近くにいました(という気がする)。市役所というよりも区役所といったしなびたクリーム色の建物の中に入り、わりかし小奇麗であるが小さい待合室のような所で待たされます。前の方にある小さな(と言っても50インチクラス)のモニターには発着の便名や時間が日本語で表記されていた気がします。そこにもとからいた人たちは皆スーツケースを持って新聞などを読んでいたような気がします。どんな格好をしていたかは記憶にありません。窓の外からは時折物凄い轟音が轟いていました。しかし中で待っていた人たちから放たれる異様な雰囲気に圧倒されてしまったので特に記憶に残っておりません。
しばらくすると人が集まりきったのか、「それらしい」人が前に出てきて色々な説明を開始しました。この際前に出てきた男女2名は期間の際にも見かけたような気がします。物凄く昭和な感じがしました。彼らは我々を写真付きのID表のようなもので確認していきます。何人かは遅れいている様で、予定の時間より遅くに各種説明が終わったような記憶があります。そしておもむろに大きなケースからドッグタグを取り出し、我々に配布し始めました。そして認識票の説明を受けます。なぜその認識票のケースが非常に厳重なものであったのかは最後まで不明でした。
そしてついに外に出るように指示されます。 小雨はまだ降っていてアスファルトが濡れていて歩きづらいです。ちなみに流石に夏なので寒くは無かったと記憶しております。鈍色の空と濡れたドドメ色のアスファルトの間に、大きなドッとしたモノがいました。こいつです。
C-1。もはや迷彩すらよく分からないような最悪の天候である。
乗ります
天井高い
飛びます
エンジンが見えます
おもむろに認識票を取り出してみる。
非常に丁寧に説明して頂きました。
ガタッ
着きました
テンション上がりすぎてすっぽりハマってるI氏
「第5航空団からきたからお前はGOKUUだ!」っていうあの映画を思い出しました。
HAPPY NEW YEAR 2013
新年あけましておめでとうございます。
やっとのことで書き終えたFlorida Sumisoniannの旅。
もうこれからの時代は異文化交流だと、肌をもって感じました。
旅の間、出費を抑えようとした。削る必要があった。
でも出来なかった。最初の旅だったんで。アトラス5はマジでヤバかった。
とにかく、旅行の記録を伝えようと決めました。このブログのルールも決めなければならないです。はっきりさせたいんです。将来は儲けたいです。(冗談)
脳がオワコンになる前に色々見つけたい↑
Between the trip, I tried to bring down any cost. I need to keep spending down.
But I couldn't. It was first time to manage by my self, so.
Other things, the ULS's Atlas V faced down me, seriously.
Anyway, I decided to pass down the memory of my every trip. And also I have to lay down the KTBB's rules. I want to pin down the detail of this blog . It is funny, wasn't it? In the future, hopefully, I wanna pull down ¥1000 a month. This is joke.
Someday my brains memory will tear down cause of aging.
I always trying to track down the truth,facts.
やっとのことで書き終えたFlorida Sumisoniannの旅。
もうこれからの時代は異文化交流だと、肌をもって感じました。
旅の間、出費を抑えようとした。削る必要があった。
でも出来なかった。最初の旅だったんで。アトラス5はマジでヤバかった。
とにかく、旅行の記録を伝えようと決めました。このブログのルールも決めなければならないです。はっきりさせたいんです。将来は儲けたいです。(冗談)
脳がオワコンになる前に色々見つけたい↑
Between the trip, I tried to bring down any cost. I need to keep spending down.
But I couldn't. It was first time to manage by my self, so.
Other things, the ULS's Atlas V faced down me, seriously.
Anyway, I decided to pass down the memory of my every trip. And also I have to lay down the KTBB's rules. I want to pin down the detail of this blog . It is funny, wasn't it? In the future, hopefully, I wanna pull down ¥1000 a month. This is joke.
Someday my brains memory will tear down cause of aging.
I always trying to track down the truth,facts.
2012年12月11日火曜日
3/5 博物館・美術館編
国立アメリカ歴史博物館(こくりつアメリカれきしはくぶつかん、英語名The National Museum of American History
スミソニアンの博物館要素の中でも全体的なオールマイティーさを担当する博物館です。
大きさも博物館らしい感じの広さなので何かと見やすかった気がします。
半日じっくりコースでちょうどいいでしょう。
いきなりこの様な謎の展示物から始まります。正直玄関口が一番意味不明だったような…
とにかくまあ、一見するとガラクタにしか見えないような物や半壊、或は全壊した謎の物体など、かなり奇天烈な収集癖のあるオッサンの家、という印象すら受ける展示スペースでございます。特に1階は比較的無機質な感じの展示スペースなのでなんか蛋白な印象を受けるかもしれません。
それでも展示されている物品はアメリカを代表する一級品ばかりであり、ほとんど大体の人が知っている物ばかり展示されています。逆に言えば此処を見ればアメリカの物質面は大体理解出来るんじゃいかというくらいです。
もちろんそれらの全てにある程度のキャプションがついているので何か分からなくても(大体雰囲気で分かる)問題無いです。
展示内容は建国から現在に至るまでを極めてザックリと都合の良い感じにまとめた様な割合です。暗視ゴーグルもまあまあって感じのものです。
このアロハは物凄く発色が良くて是非1枚欲しかったですね。
物販というかお土産物コーナーももちろんあるのですが、桜フェアみたいなものをやっていて余りめぼしいものがありませんでした。そういう所こそ、このアロハのレプリカ!のような記憶にも残る品物を売って欲しいですよね。
ディズニーの紛れも無いマスターピースであるファンタジアの大円盤。
これが展示されたときはLDも超最先端の未来ツールだったはずなのに何故こうなってしまったんでしょう……LD供養されてるといいですね
なにやらとても貴重そうな物。形が十戒っぽい上に何処と無くナウシカテイストであります。
以上が大体1階のプレーンな展示エリアの展示物です。もちろん実際にはもっとたくさんありますし、そもそも1フロアあたりの面積が尋常じゃないなでこんな感じです。
こっから先は企画常設展示?のコーナーでした。正直コッチのほうが遥かに面白いです。
照明が若干暗くなったのでコンデジだとかなり辛かったです。
何やら怪しげな科学の進歩コーナーです。くらい上に人形のミニチュアがかなり不気味です。
そして突然始まる核コーナー。これがまた非常に凝った作りの展示物ばかりでとても勉強になりました。
初代原子炉やら何やら、英語が読めればもっと深く理解できると思います。
さらにその先に進むともはや「FO3」コーナーといってもいいんじゃないか、というくらいヌカの香りで充満した展示スペースが広がっています。
FO3のサントラ聞きながら見学するとRADも限りなく上昇するでしょう。
この辺の原寸大核シェルターの展示はもはや購入したくなるほどの完成度。
もう全てが懐かしい。
核に関係するものだったらなんでも置いてしまうその熱意に感服。
日本じゃまずお目にかかれない雰囲気の展示内容でしたー
忍者タートルズの違和感の無さ
こっからはまた別の展示ですかね。
交通の歴史展示も非常に面白かったです。アメリカの鉄道がまだ元気だった頃は非常に泥臭くてカッコいいですね。
しかしこの辺になるともう疲れが非常にたまってて余り写真をとる気力すら起きませんでした…
ジョージ・ワシントンの神格化が著しいアメリカの博物館
これはやり過ぎだろ……
とにかくなんでも置いてあるのでナム戦の戦場もリアルサイズで再現しゃちゃいました的な展示も豊富。
そんな感じの歴史博物館でした。展示物そのものも凄いものばかりなのですが、とくにその展示方法の凝り方は特に凄まじいものがあったと思います。
忍者タートルズは特にヤバかった…
こっからはアートゾーンに入って行くわけですが、とにかく全ての規模が尋常じゃ無くデカイ。とにかくデカイ、意味不明、この2点は常にセットで合ったと思います。
これの姉妹作品、コミケ会場で見た気がする………
特に意味不明かつキモかった作品の典型的な例。かつデカイ。
意味不明ですね。
全くわかりませんでした。
板?
これはわかり易かった。多分色々とだるかったんだと思う、作者。
Smithsonian American Art Museum
完全にスカイリムはウィンターホールド大学のアークメイジのアトリウム
こちらは芸術を超全面に押し出した感じの美術館で、何かと格調高い雰囲気が随所に漂っていました。また館内にはフレンチかイタリアンのレストランが併設されているようで、なんだかもうエリートな場所となっています。
もちろん中の展示物は一級品ばかりで(絵の知識が必要に思えた)美しい絵画に感無量でありました。
美術館内では写真の数があまりにも多く、またどれも素晴らしい作品ばかりでしたのでビデオカメラで撮影するという無粋な真似をしてしまいますた。正直肉眼でじっくり見ておクべきでした。といってもあまりにも巨大な上に同じような通路に細かく分類された絵が延々と展示されていたので、正しい見方というか、じっくりと1コーナーを見ていく、というかんじに見れなかったことには反省せざるを得ない感じでした。
このゴンドラが展示されていた美術館と博物館の中間みたいなスミソニアン系列店の名前は忘れてしまったのですが、規模の割りには人が結構多く、展示も結構見やすい感じで家族などが多かったです。
そのさらに前に有名な植物園があったのですが、時間が無かったためパス。
デカイ。
一通りの博物館群の強行視察を終えた後、現実的なアメリカの風景を見にダウンタウンへ南下。
近くに軍港があることをgmapで確認したのでそこまで徒歩で行く事に。ちなみにこの日は終日各自自由行動をしており、入江氏はロッキード・マーティンの本社があるベセスダに地下鉄を利用していってたそうです。もちろんベセスダ・ソフトワークスも本社を置くなどかなりの威圧感に包まれた町ベセスダ、今でも興味が尽きることはありません。
入江氏はサープラスショップに行ってアモ缶とガスマスクのボンベ部と後なんかマガジンロダかなんか買ってました。頭おかしいなこいつ、と思いました。
この日は最後のアメリカを有意義に過ごしたいと思うあまり謎の行動に出てしまった感が大きい日でした。結局午後はひたすら歩く。
治安とかその手の情報には一切触れてなかったので若干不安もあったが、そもそも人がぜんぜんいなかったのでなんとも言えなかった。寒かった。
ボルチモアとか今考えると恐ろしすぎて全く関係ないDCでも恐怖してたと思う。無知は強い。
とにかく人が居ない、の一言に尽きるほど人が全く居ない。
ゴーストタウンといわれたら信じるしか無いレベル。
ユニオンステーション。アムトラックの駅とか初めて見て驚いた。物凄く大きい上に利用者が非常に多かった
最後の晩餐はホステルに最も近かった日本食料理で弁当的なものを食す。
そこそこいい値段する上に酒を自主規制したために何とも言えない夕食となった。
まあ疲れてた。
行きと帰りの便が入江氏とは違うのでダレス空港でお別れ。
最後の最後で入江氏と連絡取れなくなり、また不肖俺の脱力感も相まって、ぼーっとしてたら心配した入江氏が館内アナウンス鳴らしてくれました。本当にすまんかったあん時は。入江氏。空港で館内アナウンスされたこの事実は誇りにしていきたいと思います。
追記:I氏曰く「たしか携帯かなんかで連絡取ろうとはしたけど、館内アナウンスなんて頼む度胸ないww 搭乗時刻ギリギリだったから呼ばれたんじゃね?」だそうです。でもあん時の俺は入江SUGEEEEEEEっ思いました。ドゥフf
帰国。ANAでは快調に食事、飲酒、映画鑑賞を楽しむ。
映画は今となってはもはや伝説となってしまったイーストウッド先生の「ヒア・アフター」。津波のシーンまじすげーな、と思って普通に最後らへんめっちゃ感動してました。まさかあんなことになるとは…
あとはモーターサイクル・ダイアリーズとかその辺。あんまりおもしろくなかった。
成田エクスプレス→新宿→タクシー
お疲れ様でした。日本のどんより天気も意外と似てますねワシントンと。
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